2012年4月19日木曜日

沖縄紀行#1 金城哲夫資料館を訪れる




4月14日から16日にかけて。2泊3日で沖縄に夫婦で旅行に行って来ました。
ちょうど5年勤めた会社を退職、時間も出来ましたし、これまで妻には随分と迷惑をかけてきましたから。コミケやワンダーフェスティバルのついでとかじゃなく、純粋な旅行もしたくなったんですね。

沖縄は本当に素敵な場所で、そこにいるだけで普段の生活とは異なる半歩ずれたような不可思議な楽しみのある場所でした。夫婦ともども大変楽しんで、来年きっとまた訪れよう…なんて2人で話しています。

これから2〜3回の間、自分の備忘録も兼ねて、旅の思い出などをこのブログに綴って行きたいとおもいます。



昼前に伊丹空港を出発、午後1時過ぎに那覇空港に到着して僕らが向かったのは首里城でも国際通りでも無く、「松風苑」という料亭でした。

日本料理「松風苑」

空港からタクシーで20分ほど走った場所に、そのお店はありました。

随分と立派な店構えで、こういう場所に慣れない僕たちにとってこの門をくぐるのには少々勇気がいりました。そう、僕たちはこの店に食事を頂きに訪れたわけでは無いのですから。

店の敷地内に入ると見事な和風庭園、ただところどころ南洋植物が植えられてちょっと変わったムードです。ちょうどお店の方が通りがかったので声を掛けました。

「失礼します、金城哲夫資料館を見学したいのですが・・・」


金城哲夫の肖像

円谷プロに所属し、ウルトラシリーズを立ち上げた沖縄出身の企画者・脚本家。

「怪奇大作戦」を最後に円谷プロを去った金城氏の仕事場が、実家である「松風苑」の一角に残され、「金城哲夫資料館」として一般開放されている事を知ったのは数年前のこと。今回の沖縄旅行の大きな目的のひとつが、退職の節目にこの場所を訪れることでした。


「金城哲夫資料館」外観

仲居さんの案内で庭園を抜けたその先の離れの二階。階段の先にかつての金城哲夫さんの仕事場はありました。仲居さんが扉の鍵を開け、中にお邪魔すると、室内は蒸し暑く「ぷん」・・・と微かなカビの匂いを感じます。

「すみませんね、普段は閉めているので・・・」
仲居さんが窓を開けると窓から爽やかな南国の風が吹き込んできました。その風を吸い込みながら、『本当にこの場所で仕事をされていたのだな・・・』と、神妙な気持ちになる自分がいました。


資料館は入口側とその奥の書斎のふた部屋にわかれ、こちらの入り口の部屋には故人を偲ぶ資料が当時のスタッフの方々のサインなどと並んで展示されています。


右上には飯島敏宏監督と盟友である上原正三さんのサイン色紙が見えますね。色紙の左端はフジアキコ隊員役の桜井浩子さんのサインでしょうか。


金城さん執筆の脚本、サインがありますので当時打ち合わせなどに使われたものなのでしょう。ただ、左上の「帰ってきたウルトラマン "必殺!流星キック"」のみ上原正三氏執筆作です。これは死後寄贈されたものか、それとも帰ってきたウルトラマン「毒ガス怪獣出現」執筆時に資料として金城氏に渡されたものなのでしょうか。

我々がよく知っている、これら円谷プロでの仕事の多くが金城哲夫さんが二十代の頃の仕事です。早熟の天才と言えるでしょう。


沖縄に帰ってからの沖縄芝居を始めとする金城哲夫さんの仕事。円谷プロを退社した後の金城さんの事を、僕たちはあまりに知らないのです。


この先が金城さんが執筆に使われていた、書斎にあたる場所です。


金城哲夫さんの書斎にて

眉が太く、彫りの深い南国の顔立ち。

金城哲夫さんの本棚

文学・歴史・沖縄史などの書籍が多く見られる

本棚の上にはウルトラマン関係の書籍や宇宙船のバックナンバーなど
それらは死後に寄贈されたものだろう


机の上には金城さんが当時使われていた万年筆と鉛筆がそのまま残されている
立ち並ぶソフビ人形は熱心なファンの方々が訪れた際に残していったものだ



ウルトラシリーズで育った少年たちが成人するまで、特撮番組は子供番組の類で評論されるものでは無かったでしょう。この書斎で、自分が青年期に手がけたウルトラシリーズについて、金城哲夫さんはどう思い返していたでしょうか。

ウルトラシリーズやその製作スタッフへスポットがあたるのは、金城さんの死後しばらく経って後70年代後半の事となります。







「ここがね、金城さんが亡くなった場所なんですよ」

そう、金城さんはここで亡くなりました。深夜、泥酔状態で帰宅した金城さんは母屋に鍵を忘れ、二階の仕事場に窓から入ろうとし・・・そのまま地面に落下。

「母屋が遠いもんですから、発見が遅れてしまったそうですよ・・・」

翌朝倒れている所を発見され、入院するも、治療の甲斐無く三日目に死亡。享年37歳。あまりに短い生涯でした。



資料館の入り口から外を見下ろした風景
手前の大きなえんどう豆のような変わった実をつけた木は
アフリカ原産のものとのこと
この時はあいにく枯れていた

仲居さんのご案内で「松風苑」の立派な庭園も見学させて頂いた
日本様式に南国の草木が生い茂る様はエキゾチック


この資料館は金城哲夫がどういう人物であったか、解説するようなボードは全くありません。故人の部屋を一般に開放した・・・といった方が良いでしょう。そしてそれが魅力と言えます。

今回の訪問を知人のデザイナー・イラストレーターの今石進さん(BB戦士のコミックワールドを描かれた方です)に伝えた所、以前の勤務先で沖縄に社員旅行した際に、皆さんで金城さんの墓参りを企画されたそうです。しかし、肝心のお墓の場所が分からず断念されたそうで、このように仕事場が資料館として開放されている事を大変驚かれていました。

多くのエンターテインメントの仕事に携わる人達にとって、金城哲夫さんの仕事の数々は自分たちのオリジンのひとつなのでしょう。

金城さんから受けたものは、全て作品から自分の心のなかに残され、それを思い返すために、みなさんこの場所を訪れるのかもしれません。

いま、このタイミングに、ここに来てよかったな・・・そう思いました。



一冊500円で販売されている「金城哲夫研究」誌
私達が知らない、金城哲夫の仕事なども多く取り上げられており、興味深い
これを発行されている金城哲夫研究委員会の主催で
各種イベントが行われているそうだ。


さて、次回からは文体も崩して比較的普通の観光旅行になる予定です(笑)。
金城哲夫資料館」と日本料理「松風苑」については下記のリンクをご参照ください。




※資料館への予約は二日前からとありますが、仲居さん曰く「特に予約は無しでも結構ですよ」との事です。ただ、案内に仲居さんについて頂かないといけませんし、一応、事前に電話で確認した方が良いかもしれません。



2 件のコメント:

  1. キルバーン2012年5月7日 9:38

    一度は行ってみたい聖地です。

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  2. 聖地というかなんというか、お墓参りに近い感じでしたね。
    今度来る時はちゃんと松風苑で食事しようとおもいます。

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